懐かしのHonesty

 (前略)
  『限りなく透明に近いブルー』の映画を監督している時、モコ、ケイ、レイコという三人のヒッピー娘役の女優達をオレはかわいがった。当時三人とも、無名だが(今でも無名だ)、二十三歳で、きれいな女達だった。かわいがらない男がいるだろうか。
 (中略)
 サン・チェーンで夜食を買って、またギャーギャー騒ぎ、どうやって寝ようかと相談して、結局オレ一人だけを、豪華なダブルベッドに寝かせてくれた。(中略)オレはドアーズやストーンズには詳しかったが、ビリー・ジョエルを知らなかったのだ。これ、いい曲だな、とオレは言った。
 (中略)
 そのうちの一人と、箱根のテニスコートで再会した。青年実業家の奥さんになっていた。オレは、『ストレンジャー』のイントロを口笛で吹いた。彼女は、微笑んで、「あの頃は、最高だったわね」とオレの耳許で囁いた。
 「今は?」とオレは聞いた。
 「今も、最高よ」と彼女は答えた。
 (後略)

 『すべての男は消耗品である』(1990年 村上龍・著 角川書店)
 ―「若くて、きれいな女には絶対かなわない」より抜粋


久しぶりに『Honesty』を鑑賞した。

高校生の頃、バレンタインデーに同級生から
「麗澤君て、ビリー・ジョエルに似ているわね」と言われ、チョコレートを貰った。
私はクイーンやレッド・ツェッペリンには詳しかったが、ビリー・ジョエルを知らなかったのだ。

『Honesty』は何度聴いても、ある種の懐かしさを感じる。
女房は、「なんかニューヨークの摩天楼を彷彿させるわね」と小声で言った。

2008年11月16日

今日の一言: 五十になると「命を知る」。命というのは絶対的作用である。どんなのんき者でも、五十の声がかかれば、自ずから結論らしいものを持つようになる。