講座について■第一章第四節 常に遺書だと思って書く

受講生の皆さんの中にはお若い方もいらっしゃるかと思われますが、私は今年47歳になります。子供は中学生と小学生の男の子がおります。

私の場合は、原稿執筆の際には常に遺書だと思って書いています。 小説創作は孤独な仕事です。自分と向き合って執筆をしているとき、読者を最も身近な肉親に想定して、遺書だと思って書くと意外にすらすら書けたりします。 若い方なら、恋人や友人に想定してみてもいいでしょう。 「不特定多数の読者に情報発信するのだ」と思って力んで書くよりは、近親者に「自分は言ってはいないけれど、こんなことを考えて生きているんだよ」と伝えるつもりで書くと、肩の力が抜けてリラックスして書き続けることができるように思えます。 常に遺書だと思って書くのは重要なポイントです。

私は「幸せな物書き」を提唱しています。「人生は短く、あまりにも儚い」と考えています。そんな人生の中で、自分の作品を生み出すことは幸せなことではありませんか? 自分は死んでも、何らかの形で作品は残るのです。例え有名にならなくても、自分の葬儀の席で近親者が読んでくれて、作品を通じてその精神は語り伝えられるのです。こんな風に書くと新興宗教みたいでちょっと不気味ですね。

「小説を書くことは自分と向き合うこと」と書きましたが、作品にはその人の人間性や価値観、人生観などが如実に表れます。 小手先の文章テクニックよりも、本質的に重要なのはその中身です。 「作家を目指す無名の新人に何を求めますか」との質問で、私の好きな某大作家の言葉に「求めるのは鮮烈な一言半句である」という回答がありました。 あなたは「鮮烈な一言半句」を誰に伝えようと考えますか? あるいは、「鮮烈な一言半句」とは、どこから生まれるのでしょうか?

例え話をしてみましょう。パリコレで活躍する世界でもトップクラスのスーパーモデルたちの世界の話です。彼女たちは自らの肉体の美の精度が命の職業です。その生活の背景には命をかけた壮絶とも言えるストイックな自己研鑽が伺えます。彼女たちにはその生活背景すべてが美の精度として表出するのです。 それに比べると、作家はその生活スタイルだけでも十分過ぎるほどのアドバンテージが与えられています。ただ、残された作品にはその人の人間性や価値観、人生観などが如実に表れてしまうのです。「鮮烈な一言半句」は、ある意味ではその作家の背景にある自己研鑽の賜物であるとも言えるでしょう。

「常に遺書だと思って書く」ということは、常にこれが最期だと思って、思い残すことが無いように集中して書くということであり、全身全霊で「伝えたい」と念じる思いを書き残すことなのです。このようにして作品は残り、あなたは毎日が幸せになることでしょう。「幸せな物書き」の生活はここから始まるのです。

2006年01月01日

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